かく語りき

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 結局、生き残ったのは十人でした。三年生が引退してからは各自に担当の割り振りがあってね。主将・副主将・会計あたりはどこの学校でもあるでしょうけど、ほかにも色々細かくあるんですよ。なにしろ人数が多いですから。野球やサッカーなんかの強豪校とは比べものにならない数字ですけど、自転車競技部で五十人いる学校なんて当時は箱根学園くらいのもので――これは今もですかね。
 僕が引き継いだのは広報・渉外担当とでも言えばいいかな。雑誌や新聞の取材がけっこう来るので、窓口になってスケジュールを調整したりとか、求められれば写真を提供したり、あとSNSからの情報発信もそう。それから、ファンの子――いるんですよ、たかだか高校生だっていうのに、遠征先まで追っかけてくるような熱心な子が。うちの代は特にすごくて、東堂なんかファンクラブまでありましたからね。人数は少ないけど熱烈なのは新開のファン。ああ、真波もかなりのもんでしたけど、当時は一年生で実績がなかったから、本格化したのは僕らの卒業後かな。基本的には本人がそれぞれ対応するんですけど、プレゼントや差し入れを預かったり、支障のない範囲でレース出場予定の問い合せに回答したり、レースに詳しくない子が会場や他校に迷惑をかけないように目配りしたり、そういうことはしてましたね。
 あとはまあ、いろいろ。
 寮生がほとんどだったこともあってか、他校なら大人がやるだろうことも、ずいぶん自分たちでこなしていましたよ。思うに、将来を見据えての指導だったんでしょうね。選手として身を立てるなら、走りさえすればいいってわけにはいかないでしょう。プロに行かなくったってあそこで学んだことは役に立ちましたよ。僕みたいな活かし方はまた特殊例でしょうけど(笑)。
 ――僕ら、負けたでしょう。箱学の自転車部ができて、インターハイが今の形式になって、ほとんど初めての王座転落でした。物凄いことですよね。それまで、完全に一強だったんです、箱学の。
 振り返ってみればまさに時代の境目というか、才能のある選手がどんどん出てきて、群雄割拠の時代が始まる、ちょうどその最初のシーズンだった。小野田選手の伝説の幕が開けた年でもありますね。だから箱学が負けたのも必然と言えば必然で、むしろ僅差の二位、そこから三位四位と獲っているのはやはり箱学の強さなんですけど、そんなことまで当時の僕らに見えるはずがない。青天の霹靂ですよ。勝つはずだったのに、負けるはずがないのに、って、皆ひたすら混乱している感じでした。
 それでも三年レギュラー陣はさすがというか、きちんと表彰式に参加して、下級生に指示出して片付けさせてね。取材にも応えて、敗北者としてフラッシュを焚かれて。ずっと、しゃんとしてました。涙ひとつ見せなかった。笑って見せさえした。下級生の中には、平然としすぎてる、なんて思った部員もいたみたいでしたよ。
 でもね。……今でも、よく覚えています。
 寮の部屋に、鍵が掛かっていた。
 普段、部屋にいるときは鍵なんか掛けなかったんですよ、僕ら。荒北とか、都心方面から来たやつは、最初は馴染まなかったみたいですけど、そのうち慣れましたね。寮の玄関で出入りはチェックされてるから、入ってしまえばゆるゆる。男だけですしね。物の貸し借りとか、部屋でダベったりなんだり、いちいち鍵を掛けていたら面倒なんです。適当に入って物漁って出てくとか、日常茶飯事。
 でもその日は鍵が掛かっていました。福富の部屋も東堂の部屋も、新開も荒北も。そうです、負けて帰ってきた、その夜の話です。食事も風呂も済ませて、寝る前くらいの時間でした。
 さっき話したとおり僕は広報担当で、取材の依頼がその時点で数件来ていました。レース当日に受けたものとは別に、じっくり腰を据えて聞きたいというような話でした。負けた学校に残酷ですけどね、でもマスコミはそういうものでしょ、僕が言うのもなんだけれども。常勝王者の転落劇なんて読み物としては最高ですよ。
 それで、その話をしにいったんです。いつ来てもらうか、誰が応対するか、決めなきゃならないから。
 でも、どの扉も開かなかった。福富も東堂も新開も荒北も。ノックをしても、声をかけてもね。ノブをガチャガチャ鳴らしても、誰も出てこない。部屋の中にいるのは確かなんです、明かりが漏れるし、気配もある、でも応えが一切なかった。
 ああ、あいつら泣いてるんだなって、思いましたね。こうやって泣くんだなって……こういうふうにしか、泣けないんだな、って。
 取材対応は僕が勝手に采配しました。翌朝、できるだけ先延ばしした日程を伝えたら、フ、って福富が笑ってたっけ。朝にはみんな、すっかりいつもの顔をしていました。腫れぼったい目だけは隠しようもなかったですけど。
 あの四人は僕ら同期の代表で、誇りでした。あいつらが死力を尽くして負けたのなら、それが結果です。負けたのはそりゃあショックでしたけど、誰も責めやしないですよ、少なくとも、三年間を一緒に過ごした僕らは。でもあいつらは僕らの前ですら泣かなかった――泣けなかった。泣かせてやれなかった。箱学の部員五十人を背負って、主将副将でいる、最上級生レギュラーでいるというのは、そういうことでした。
 今でも思い出します。ドアノブをひねったときのあの、ガチッていう感触。
 鍵の掛かったドアの向こうであいつらが泣いてる気配だけ感じてた夜のこと。
 僕がライターを志したのは、あの夜だったように思います。あいつらのあのドアのこと、汗水垂らして声を枯らした三日間のこと、僕らが過ごした箱学での日々のこと――眠れないまま一晩中考えていたことを、たぶん僕は誰かに話したかった。何年経っても、ふっと気持ちがあの夜に戻っていく一瞬があります。
 あれからそれぞれ、別の道に進みましたけど、あいつらもきっとそうだったんじゃないかなあって、思ってます。勝手な思い込みですけど。
 ですから、――だからね、うん、だからさぁ…………嬉しくてさぁ……!
 あいつら、いえ、出場してたのは福富だけですけど、でもあいつらって言わせてください。オレ、あー僕、――いやもうオレでいいや、あとで直しといて――オレにとっちゃこれ、荒北も新開も東堂もひっくるめての「あいつら」の結果だからさぁ! いや東堂が落選して悔しがってたのも知ってるけど、仕方ないじゃんね怪我だし、絶対あいつだってめちゃくちゃ喜んじゃってんのよ他の誰でもなくて福富なんだから。あのうるっさい自分大好きチャンが上に立たせたの福富だけだもん。東堂だけじゃなくてさ、みんな大好きだもんね福富のこと! だからほんと、だからほんとさぁ……オリンピックよ? メダルだよ? オレらのエースが!!
 すげぇよ、すっげぇよ、あそこから、誰も折れなかった。プロに行ったのは福富と東堂だけど、新開も荒北も自分の道で結果出してて、それでさ……。
 今でもやっぱり、あいつらがオレらの代表で、誇りで、自慢だよ。
 ……あー、ワリ、ちょい休憩させて……。つかさぁ、オレ記者なんだけど。なんで取材されてんの。いやうん、はい、まともな記事とか書ける気がしないからって杉元ちゃんに投げたのオレでしたね? うん、ごめんて。よろしくね? いい話にしといてね?
 あっ電話――悪い、出ていい? サンキュ。――おっす、東堂! そーそー、うん、福富も来られるって。あとおめーのアポ取れたら決まりよ。……当然でしょ。誰だと思ってんの、任せちゃってよこの今井に! ――――

(サイクルタイム・杉元記者の取材資料より、一部抜粋)